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極上の音、大人たちの聖地。

やがて1970年、コシノジュンコは南青山4丁目にブティックを移す。その後、万博の仕事で知り合った堺屋太一にそそのかされ、店先の通りを「キラー通り」と名付けたことは有名な話。青山墓地、自動車の往来の激しさ、当時流行っていた「ピンキーとキラーズ」。それはいかにも彼女らしい直感的なひらめきだった。

ところがそんな命名が災いしてか、ある日、墓地の坂を下って来たタクシーが、彼女の店に正面から突っ込んだことがある。幸い怪我人は出なかったが、並の経営者なら頭を抱えるところ。しかし彼女は動揺するどころか、ポップアートみたいで面白いと、ウィンドウにスッポリ収まったクルマをしばらくそのままにしていたという。本人の言葉を借りるなら、それは悪ノリの時代。青山に若さと才気が充満し、あらゆるモノやコトを目一杯遊べた時代だった。
1970年代の赤坂MUGENで撮影された一枚


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