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VANが灯したひかり。

VANが青山に移転したのにはふたつの理由があった。ひとつはスタジアムがあり、東京五輪を間近に控えたスポーティな街であったこと。もうひとつは、緑豊かな都心の高台であったこと。高台の街で文化をつくれば、やがてそれは渋谷、原宿、赤坂、六本木へ下っていくとも考えていたらしい。

そしてその目論見通り、程なく青山にはVANの看板が溢れ、その影響は、周辺はおろか全国へと波及してゆく。街がVAN TOWN AOYAMAと呼ばれた最盛期には、事務所が11カ所に、店舗が8カ所。その業態はアパレルのみに留まらず、イタリアの家具メーカー「アルフレックス」のショールーム、イタリア製エスプレッソマシンを導入した日本初の立ち飲みカフェ「356」、家庭雑貨の「オレンジハウス」、コンサートや演劇などを99円で観られた「99ホール」など、VANは当時最先端の文化と遊びの発信者として、青山から日本を席巻した。
1960年代半ばの石津謙介

客席99席、料金1人99円。演劇、ボクシング、ファッションショーなど多彩な催しが行われた
やがて昭和53年、事業拡大が裏目に出たVANは倒産し、栄光の三文字は青山から姿を消す。しかしこの街からファッションの灯火が消えることはなかった。石津を慕ったコシノジュンコ、三宅一生、高田賢三、川久保令、山本耀二らが後に続いたからだ。そして2005年、石津は世界のファッションタウンとなった青山の進化を見届け、93歳で大往生する。病床でも決してお洒落を忘れなかった石津が最期に着ていたのは、長年親交のあったイッセイ・ミヤケのシャツだった。


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