SPECIAL INTERVIEW
世界でいちばん、居心地のいい場所。
青山に最初のブティックを構えたのは1966年のこと。 コシノジュンコさんと青山の関係は間もなく半世紀を迎えようとしている。 今語られる生々しい青春の群像、彼女がこの街に来た理由。
青山には、何かが始まる予感がある。
すでに青山通りにあったVANの石津謙介さんは私の先生のような存在でした。ちょっとお友達感覚じゃないというか、全くもう、高い所にいる方でしたね。その石津さんに教えてもらったのが、青山は東京で一番高い所で、空気もいいし、すべてを見渡せるのがいいんだということ。長く住んでいますけど、これは今も変わらない青山の価値だと思いますね。
VANの99ホールでは何度もショーをやらせて頂きました。99円で、99席。立ち見にすれば200人は入ったかしら。あそこは、真ん中にボクシングのリングがあるもんだから、そのロープをくぐって、モデルが入るわけ。意外とややこしいのよね、あれ。でもリングは常設だから移動できないわけよ。それでもショーをやるんだから、すごい時代だったわね。
VANのビルの最上階には、田中一光さんのオフィスがありました。それであるとき、浴衣用の反物をプレゼントしにいったんですよ。そしたら、「せっかくだけど、もらっても着れないな」っていうの。「え、どうしてですか」っていうと、「だって縫ってくれる人がいないもん」っていうわけ。それで、あっと思って、すぐに縫製工場をつくったの。実はこれが、浴衣のプレタポルテの始まり。つまりきっかけをくれたのは田中一光さんだったわけ。昔は手縫いができる人がまだ沢山いたけど、この青山のど真ん中にはいませんでした。あの一言は、ある意味で時代のニーズだったんですよ。
思い出のアルフレックス。
青山で最初に住んだ家は、今のエイベックス脇の長者丸通りにありました。1階には、当時パパスのイメージキャラクターをやっていた三國連太郎さんの事務所があってね。私は人が集まる家が好きなんですけど、何しろその家には、みんなが集まった、集まった。当時は青山通りにユアーズがあったから、夜中にうちの家に集まっても買い出しがとても便利だったの。当時、夜遊びしてた人たちは皆あそこの常連なんじゃないかしら。周りには、ものすごいスポーツカーを停めて買い出しに行くような友だちもいたわね。
その後、しばらく六本木に住んだんだけど、ここでも青山との不思議な縁があったの。その家は、英国大使館の女子寮の隣にあった鹿鳴館時代の洋館で、その離れを、月29,000円というものすごく安い家賃で借りたのね。それでそこの改装を頼んだのが、アルフレックスの保科さん。実は保科さんと初めて会ったのはミラノで、ちょうどその時に、これから店をつくるんだと言っていたの。実はその場所がVANの2階。すごく縁があるでしょ。そうして私は、アルフレックスの最初のお客さんになったわけ。本来あそこは内装をやる会社じゃないんだけど、ドアを塗ってもらったりとか、随分無理を聞いてもらいましたよ。ソファは80万くらいで買ったんだけど、5回くらい張り替えをして、今も現役で使っています。好きなのよね。一番最初のソファだし、すごく背伸びして買ったから。あれは本当に、一生ものですね。
都会なのに落ち着いて住める街。
思えば、私が青山に来たのは、“住まい”がきっかけでした。青山に来る前は銀座小松ストアーでブティックをやっていて、その頃から、次は青山通りだって直感的に思っていたの。私の場合、住まいは仕事場の近くにあるのが理想なんだけど、まず銀座には住めないでしょ。当時は新宿でもよく遊んだけど、新宿に住んでお店を持つというのもピンと来なかった。住むなら、断然青山。青山に住んで、自分の拠点となるブティックを持ちたい。それが夢だったの。
あれから50年近く青山にいますけど、この街は本当に居心地がいいですね。どこから帰ってきてもやっぱり一番落ち着くんですよ。“都会なのに落ち着いて住める”というね。かといって都会過ぎないし、変に格式があったり、伝統があったりしないのもいいところね。青山に住む人は世界を見ている人たち。プライドを持って日本にいるんだけど、決して日本に縛られていないというか。そうやって世界に関係するのが、青山人の流儀じゃないかしら。
大好きな青山にこだわりをもってつくった今の住まいは、世界で一番居心地のいい場所。そういう場所を持っていることは、心を安定させてくれるし、人生を豊かにしてくれます。やっぱり家ってすごく大切ですよね。私の場合は、家だけじゃなく、仕事場でもあるんですけど。ファッションって都会的なことじゃないですか。だから私、よくお芝居なんかで昔の田舎の人の衣装をつくるとか、ああいうのは全然下手なんですよ。さっぱり分からないわけ。だって私の存在意義がないでしょ。山奥にひとりで住んで誰にも会わないとなると、その装いは実用でいいわけです。やっぱりファッションって、先端を行って、次の時代のエネルギーになる、そういう意味があると思うんですよね。だから私にとって都会に住むということはすごく大切なことなんです。
その意味でも青山は、私の理想の街。海外にも素晴らしい街は沢山あるけれど、青山みたいな感覚の街って、世界中のどこにもないんじゃないかしら。
コシノジュンコ/デザイナー
1966年、南青山にブティック「COLETTE」をオープン。現在は、骨董通りにブティック「JUNKO KOSHINO」がある。1978年にパリコレクション初参加以降、北京、NY(メトロポリタン美術館)、シンガポール、ベトナム、キューバ、ポーランド、ミャンマー等世界各国でファッションショーを開催し、国際的な文化交流に力を入れる。VISIT JAPAN大使、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 文化・教育委員、琳派400年記念祭の呼びかけ人でもある。
コシノジュンコ MASACA(まさか)
毎週日曜日17:00~17:30 TBSラジオにて
コシノジュンコさんのレギュラー番組が放送中。
ファッションデザイナー:コシノジュンコが、
それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、
人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する30分。
MASACA!な驚きを創造する人々・・・
MASACA!な未来を想像する人々・・・
そんな人々との出会い「MASACA!」がCREATIONを生み出す!
舞響〜Bukyo~ 踊る○太鼓
コシノジュンコさんが舞台衣装を手掛ける
ドラムパフォーマンスグループTAOの東京公演。
世界22カ国、観客動員数700万人に迫る世界的和太鼓エンターテインメントグループTAOの東京公演。
世界を魅了する圧倒的パフォーマンスと、コシノジュンコさんの手がける舞台衣装が、
モードとエンターテイメントを融合させた唯一無二のドラム・アートを創造する。
日程:7月15日(金)〜24日(日)
場所:Zeppブルーシアター六本木
HP: http://www.drum-tao.com/main/